1.なぜ社会問題は存在するのか?
年齢を重ねていくにつれ、入ってくる情報量は多くなる。明日が雨だと予報を聞けば、雨具を用意し、ニュースで政治や経済が芳しくなければ、何らかの活動を起こすのである。国や地方、企業、団体などの組織は、なぜ存在するのか?それは、自分の存在が、何であるかを知るためである。例えば、独裁国家で、紛争が絶えない地域で、経済活動よりも生き続けることが、最優先である組織下に自分が在れば、自分の存在を、弱く危険な状況に晒されていると、認識するだろう。自分が、情報として知る問題は、常に自分の現存を認識するためにあるのである。
2.選挙や募金などの活動は、社会にどう影響するか?
お金儲け以外で、社会に対する活動は、自分の存在の変化である。例えば、町内清掃の奉仕活動に参加することは、全てを清潔に保つ存在や、人と協力する存在であることかもしれない。その活動において、社会に変化をもたらすかどうかは、分からない。どんな性格の組織下であろうが、自分にとって必要な物事しかないのだから、自分の存在を常に認識したい。行動の結果や評価ではなく、認識した存在から言動できたことが、喜びなのである。
3.世界とは何か?
地球のことや、宇宙、何かの業界のことでもない。自分の世界である。自分が認識し、存在している世界である。今まで得た情報で、自分の世界を、どう創るかは自由である。何を認識し、自分をどのような存在とし、どう言動し喜びを得るかは、全く自由である。まさしく、愛の世界である。
4.自分を変えるとは何か?
自分を変えるとは、自分の認識を拡大することである。ひとつの物事を、より多くの視点や、角度からみたり、考えたりすることである。一般的に、善と言われていることを、悪と見たり、自分がイヤなことを、良いことと、考えたりすることである。認識が拡大しても、良いことが増えたり、イヤなことが減ったりすることはない。起きた出来事に対して、感情の起伏がより小さくなるだけである。より毅然とする、より冷静になる、より感情表現が少なくなる。
5.自分とは何か?
自分とは、世界の全てである。自分の感情、思考、意思などは、自分の世界の人や動植鉱物、物質などから得られた情報から生まれたものである。自分の言動、およびそれによる結果や評価でさえも、自分ひとりで生み出したものであるとは到底言えないのである。自分とは、世界に生かされ、世界に言動させられている世界の一部である。
6.自分のやりたいこととは何か?
自分のやりたいこととは、世界からの要望である。イライラして怒りたくなったり、不安で何とかしようとしたり、好きな人をデートに誘おうとすることもである。自分のやることとは、世界から最も要望されていることである。戦争や犯罪、科学的発明、地震もである。社会問題だろうと、個人的なトラブルだろうと、選択する言動の全ては、世界から最も求められていることである。安心した上で、認識拡大という変化を感じ、言動できたことを喜びにすることである。