1.心の平安
「神は、退屈だから万物を創造した。」とか、「つまらないから、感情が揺らぐ出来事を起こす。」と言う人がいます。証明ができないので、本当かどうかは分かりませんが、証明されなければ嘘であるとも、証明できません。真実や、事実であるかを追求するべきかどうかが問題なのではなく、その人にとって、腑に落ちたり、納得できたり、素直に信じられるかどうかなのです。その人にとって、素直に信じられること、心が平安である物事の考え方や、捉え方かどうかです。納得できない方を選択しようと、不信感を持って進もうと、心の平安である方向へ、歩むことになります。
心が平安でない状態が、悪いとか、間違っていると言いたいわけではありません。心が平安ではない状態も、その人が歩みたい道に進ませるために必要であるだけです。善悪や正誤、正邪は、物事に対する、ひとつの見方や捉え方に過ぎません。ひとりで生きていくことができない人間が、ふたり以上集まると、ルールが必要性がでてくるので、ルールを守ることが大切だという視点からは、善悪や正誤が生まれるということです。
素直に信じられることや心が平安になることとは、本音や本心ということです。自覚してようが、無意識だろうが、生まれ持ったものと、それまでの経験が合わさった本音や本心通りに進むということです。
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